女子やり投の北口榛花選手は、2023年ブダペスト世界陸上競技選手権で日本人女子投てき種目初の金メダルを獲得した。しかしその道のりは順風満帆ではなく、コーチ不在の試練、チェコへの海外修行、下半身の使い方という長年の課題との格闘があった。水泳・バドミントンで鍛えた身体、そして「守りに入ったらダメ」という挑戦するマインドが、世界の頂点へと彼女を押し上げた。
多競技経験が育てた「やり投げに活きる体」
北口選手のトレーニングの土台は、やり投げを始める前に積み上げた多競技経験にある。3歳からのスイミング、小学校からのバドミントンという異競技での体づくりが、やり投げで世界一になるための身体能力の基盤を作り上げた。
水泳が与えた「しなやかな身体の使い方」
「今、自分が投げる時の特徴は、腕の振りの速さと身体をしなやかに使えること。これは水泳やバドミントンの動きが今でも生きているんだと思います」と北口選手は語る。野球経験者が多いやり投げ界で、投げることを経験せずに始めた北口選手は感覚を掴むまで苦労したが、水泳で培った体幹の安定性と全身を連動させる動きが、後に最大の武器となった。
バドミントンが磨いた上肢の瞬発力
バドミントンのスマッシュに代表される上肢の瞬発的な動きは、やり投げの投擲動作と共通する要素を持つ。「周りには野球経験者が多くて、助走をつけてバックホームする感じで投げているのかな、と」と振り返るが、北口選手が選んだのは球を投げる感覚ではなく、ラケットを振り抜く感覚に近いアプローチだった。この独自の身体感覚が、他の選手にはない独特の投擲フォームを生んだ。
(参考)試練を越えて大躍進 女子やり投界・期待のエースが見据える世界の頂点 – GROWING by スポーツくじ
チェコ留学で変えた「下半身の使い方」
大学2年次にコーチが退任し、方向性を見失っていた北口選手が起死回生の行動に出た。2018年11月、フィンランドで開催された「ワールド・ジャベリン・カンファレンス」に自ら参加し、チェコ出身のデビッド・シェケラック・コーチとの出会いを手繰り寄せた。
「できないと言ったら、レベルを下げて教えてくれた」指導法
それまで複数のコーチから指摘されながらも改善できなかった「下半身の使い方」。シェケラック・コーチとの違いは、「できないと言ったら、少しレベルを下げて教えてくれました」という段階的なアプローチにあった。求められる動作のレベルを選手に合わせて調整し、できたという成功体験を積み重ねながら技術を向上させる指導が、北口選手の課題を解決した。
チェコ修行2か月で日本記録を更新した成果
2019年2月に1か月間チェコで集中トレーニングを行い、帰国直後の5月に64m36の日本記録を樹立。さらに夏の3か月再留学の後、同年10月に66m00まで記録を伸ばした。1年で2度の日本記録更新という急成長は、下半身強化という課題の解決が競技力向上に直結することを示している。
やり投げに必要な身体能力と強化ポイント
やり投げは「助走の加速」「踏み切りでの力の蓄積」「リリースでの全身連動」という3段階で成り立つ。北口選手の経験から見えるトレーニングの重要ポイントを解説する。
下半身と体幹の連動が飛距離を決める
やり投げの飛距離は、下半身から生み出したエネルギーを体幹を介して上肢へと伝達する「運動連鎖」の質によって決まる。北口選手がチェコで集中的に取り組んだ「下半身の使い方」の改善は、まさにこの運動連鎖の起点を整える作業だった。スポーツ科学的にも、投てき種目の飛距離向上において下肢の伸展力と体幹の安定性が最も重要な要素とされている。
異競技クロストレーニングの効果
水泳とバドミントンという異競技で鍛えた身体が、やり投げで世界一になる土台を作ったという北口選手の経験は、クロストレーニング(異種目トレーニング)の有効性を示す好例だ。水泳は体幹の安定性と全身の連動性、バドミントンは上肢の瞬発力と手首の使い方を磨く。単一競技での特化トレーニングとは異なる身体能力の獲得が、後の競技力向上につながった。
世界を舞台に挑戦し続けるマインドセット
北口選手のトレーニングに対する姿勢で際立つのは、結果を待つのではなく「自分で動く」積極性だ。コーチを失うという試練を、自ら世界の舞台に出向いて解決したそのメンタリティが、競技力の土台を支えている。
海外コーチ・ネットワークを自ら開拓する
「日本人だけでなく海外の方からもたくさん声を掛けていただいて、日本人だけど世界(の人々)と繋がれている気持ちになれた」と語る北口選手。ジュニア世代への言葉も「海外と繋がることに意味がある」というものだ。技術的な向上だけでなく、世界基準の環境に身を置くこと自体がトレーニングになるという考え方は、現代のアスリート育成に通じる重要な視点だ。
「守りに入ったらダメ」という挑戦者の哲学
「アジアや世界に視野を広げると、まだまだ挑戦者でいられるし、やれることはある。守りに入ったらダメなので、挑戦し続ける気持ちでいます」という言葉は、彼女が2023年の世界チャンピオンになっても変わらないスタンスだ。日本記録保持者として安心することなく、常に世界の基準に挑戦し続ける姿勢が継続的な成長を生んでいる。
まとめ:北口榛花のトレーニングから学ぶこと
- 水泳・バドミントンで培った「腕の振りの速さ」と「身体のしなやかな使い方」がやり投げの競技力の基盤になった
- 長年の課題だった「下半身の使い方」はチェコでの集中修行と段階的な指導法によって解決され、帰国直後に日本記録を更新した
- やり投げの飛距離は下肢の伸展力・体幹の安定性・上肢の瞬発力という運動連鎖の質によって決まる
- 異競技クロストレーニングは単一競技で得られない身体能力を培い、後の競技力向上に寄与する
- 「守りに入ったらダメ」という挑戦者のマインドと、世界に自ら飛び込む行動力が継続的な成長を生んでいる
よくある質問(FAQ)
北口榛花選手はどのようなトレーニングをしていますか?
チェコのシェケラック・コーチの指導のもと、「下半身の使い方」の改善に集中して取り組んできました。海外合宿での集中トレーニングを毎年実施し、下肢の伸展力と体全身の連動性向上に特化したトレーニングを行っています。
北口榛花選手がやり投げを始めたきっかけは?
北海道旭川東高校入学後、陸上部顧問の松橋先生に誘われたことがきっかけです。最初はやりを投げてみたら「刺さる音が気持ち良くて」競技にのめり込みました。高校入学前は水泳とバドミントンに取り組んでいました。
やり投げに水泳経験はどう役立っていますか?
水泳で培った体幹の安定性と全身を連動させる動きが、やり投げの投擲フォームに直接活きています。「腕の振りの速さと身体をしなやかに使えること」が北口選手の特徴ですが、これは水泳やバドミントンの動きから来ていると本人が語っています。
チェコ留学でどんな課題を克服しましたか?
複数のコーチから長年指摘されていた「下半身の使い方」の課題をシェケラック・コーチの段階的な指導で解決しました。2019年2月の1か月修行の直後に日本記録を更新し、同年10月にはさらに更新と、成果はすぐに数字に表れました。
部活動生やジュニアアスリートへのアドバイスは?
北口選手は「海外と繋がることに意味がある」とジュニア世代に伝えています。チャンスがあれば積極的に海外に出て、競技に対する異なる考え方に触れ、積極的に質問することを勧めています。日本の外に視野を広げることが競技力向上につながると語っています。
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