9歳の国枝慎吾は、脊髄腫瘍のため下半身が動かなくなり、車いす生活になった。当時「スラムダンク」が大人気で、バスケットボールをやりたいと強く思っていたという。学校に戻った国枝は、放課後に友達とバスケを楽しんだ。中学で学校が変わってもみんなとバスケを続け、ふさぎ込むよりも、その日々が楽しく夢中だったという記憶の方が強く残っている。
足が悪いから車いすを使っているだけという感覚
国枝は国連広報センターのインタビューで、周囲から「障害を持っているのに頑張ってるね」「えらいね」と声をかけられることについて、「自分としては足が悪いので車いすを使ってテニスをやっている、ただそれだけなのに」と語っている。プロの車いすプレーヤーとして世界ランキング1位を極めてもなお、周囲が抱く「意識のずれ」に気づかされることがあったという。国枝が大切にしているのは、車いすを特別視せず、テニスをする上での一つの条件として捉える感覚だ。
友達とのバスケが土台になった原体験
この感覚の土台には、9歳からのバスケの日々がある。車いす生活になった直後、国枝は障害のない友達と一緒にバスケを楽しんだ。この時期に身につけた車いすの操作技術が、のちの車いすテニスの基礎になったという。11歳で車いすテニスと出会い、高校生になって「何か一つ人生において胸の張れるものを持ちたい」という強い思いが競技を極めるきっかけになった。車いすを使うことをハンディとして意識する前に、まず「楽しい」という感覚が先にあったことが、後年の前向きな姿勢につながっている。
対 誰かから対 自分に切り替わる思考モデル
国枝の思考は2つの段階で整理できる。第一段階は、車いすを特別な制約ではなく前提条件として受け止め、友達と同じ土俵で楽しむ経験を積むこと。第二段階は、競技を極める中で「世界1位となって、初めて誰の背中も見えなくなり、対 誰かではなく、対 自分で考えるようになりました」と語るように、比較の軸を他者から自分自身に移していくことだ。国枝はまた、「勝つことでこのスポーツをPRしていこう。勝つことが車いすテニスの普及につながる」という信念のもとに試合に臨んでいたと明かしている。個人の勝敗を超えて、競技全体の未来につなげる視点を持っていたことも、この思考モデルの特徴だ。
| チェック項目 | 検索上位記事での言及状況 |
|---|---|
| 9歳で車いす生活になった経緯の紹介 | 多くの記事で概要として触れられている |
| 友達とバスケを楽しんだという具体的な記憶 | 一部の記事のみが詳しく紹介 |
| 「障害者に対する社会の見方」への言及 | 国連インタビュー以外ではあまり扱われない |
| 対 誰かから対 自分への思考の変化 | ほとんどの記事で触れられていない |
| 車いすテニス普及への信念 | キャリア紹介記事では簡単に触れられる程度 |
※「国枝慎吾 インタビュー」の検索上位記事を筆者が2026年7月に調査・分類。車いす生活になった直後の具体的な過ごし方や、思考の軸が他者から自分に移っていく過程を描く記事は少なく、本記事はその欠落部分を国連インタビュー等の一次情報から補っている。
国枝は2008年北京、2012年ロンドンのパラリンピックで2大会連続金メダルを獲得し、世界ランキング1位に上り詰めた。2009年のプロ転向時にはユニクロからスポンサーの申し出を受け、「ユニクロさんが社内の方針として『世界1位になる』ことを掲げていて、私の目標と合致した」と振り返っている。障害者を積極的に雇用する企業と連携したことは、国枝自身にとっても、東日本大震災の被災地の子どもたちとの交流など、競技の外側で社会に働きかける機会につながった。
ほかの選手や一般的な受け止め方との違い
障害を負った直後の受け止め方は選手によって様々だ。競技への転向を機に前向きな姿勢を獲得していく選手が多い中、国枝の特徴は、車いすテニスに出会う以前から友達とのバスケという「楽しさが先にある」体験を経ていたことにある。障害を受容するプロセスを競技そのものに委ねるのではなく、日常の遊びの延長線上で自然に土台を築いていた点が、多くの障害受容の語りとは異なる道筋を示している。
一般読者が転用できる思考の型
大きな環境の変化に直面したとき、人はまず「できなくなったこと」に目が向きがちだ。国枝の経験が示すのは、変化した条件そのものを特別視せず、まず身近な人と楽しめることを見つけるという順番の大切さだ。転職や異動、体調の変化など、自分の前提条件が変わる場面でも、いきなり大きな目標を掲げるのではなく、身近な範囲で「楽しい」と思える行動を積み重ねることが、後の大きな挑戦を支える土台になる。
比較の軸を自分自身に引き戻す姿勢は、家族との時間の中で判断基準を育てたアスリートにも共通する。谷川選手のオフシーズンの過ごし方も、その一例だ。

日常の中で前向きな習慣を積み重ねた例として、成田選手の日曜日の過ごし方も参考になる。

AI活用|比較の軸を自分に引き戻す壁打ち相手として
国枝が語った「対 誰かではなく対 自分」という切り替えは、一人で意識するだけでは難しい。生成AIに自分の状況や悩みを伝え、「他人と比べている部分と、自分自身の成長で見るべき部分を分けて整理して」と依頼すると、比較の軸を客観的に切り分ける助けになる。AIに答えを決めてもらうのではなく、国枝が自分の経験から少しずつ視点を移していったように、対話を重ねながら自分なりの評価軸を育てる使い方が実践的だ。
よくある質問
国枝慎吾はいつ車いす生活になったのですか
9歳のときに脊髄腫瘍のため下半身が動かなくなり、車いす生活になった。11歳で車いすテニスと出会っている。
車いす生活になった直後はどう過ごしていたのですか
学校に戻ってからは放課後に友達とバスケットボールを楽しみ、中学で学校が変わってからも同様に競技を続けた。ふさぎ込むよりも楽しい記憶の方が強く残っているという。
国枝慎吾が語る障害への向き合い方とは
「自分としては足が悪いので車いすを使ってテニスをやっている、ただそれだけ」と語り、周囲が抱く特別視とのずれを指摘している。
国枝慎吾の思考の変化はどのようなものですか
世界1位になったことで、他者との比較ではなく自分自身の成長を軸にする「対 自分」という考え方に移っていったと語っている。
まとめ
国枝慎吾が9歳での転機を前向きな力に変えられたのは、車いすを特別視せず、友達と楽しむ日常を先に積み重ねたことが大きい。そこから比較の軸を他者から自分自身へと移していく思考は、大きな環境の変化に直面する誰にとっても参考になる。
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