プールサイドで週2回、水着からトレーニングウェアに着替える10代の選手がいる。まわりが泳ぎ込みに時間を費やすなか、あえて陸上でバーベルを握る時間を選んだ。アテネ・北京の両五輪で100m・200m平泳ぎの2冠2連覇を成し遂げた北島康介氏は、その原点をウエイトトレーニングとの出会いに置いている。
本記事では、北島氏自身のインタビューをもとに、水中時間を削ってまで筋トレを選んだ理由と、成果が競技に活きるまでの試行錯誤の過程を整理する。
北島康介がウエイトトレーニングを始めたきっかけ
北島氏がトレーニングを本格的に取り入れ始めたのは、2000年シドニーオリンピックの後だった。もともと身体の線が細く体重が増えにくい体質で、次のレベルアップを考えたときに、海外選手に負けないパワーを身につけたいと考えたという。ちょうど国立スポーツ科学センター(JISS)が新設されたタイミングで、水泳の練習・トレーニング・コンディショニングを一つ屋根の下で見てもらえる環境が整ったことも後押しになった。
当時の競泳界でウエイトトレーニングは主流ではなかったが、特別珍しいものでもなかったという。スプリント・中距離・ロングディスタンスと種目によって求められる体のタイプが異なり、パワーが必要な種目の選手はすでに取り入れていたと本人は振り返っている。
水中時間を削っても筋トレを選んだ理由を種目別に整理する
北島氏のトレーニングに対する考え方を、インタビューの発言から筆者が種目・目的別に整理すると次のようになる。
| 種目 | 目的 | 競泳への接続 |
|---|---|---|
| ビッグ3(スクワット等) | 競技に必要な基礎的な動きづくり | 水泳コーチとストレングスコーチが協議して設計 |
| スナッチ・クリーン | 床反力を使った瞬発力の習得 | スタートブロックを蹴る動作に直結 |
| 週2回の陸上トレーニング | 陸上での力発揮と水中での力発揮のバランス調整 | 10kg近い体重増加とパワーアップにつながる |
※『IRONMAN2024年4月号』掲載の北島康介氏インタビューをもとに筆者が種目・目的別に整理・作成
目的は重量を挙げることではなく動きの習得だった
スナッチやクリーンは、当時の競泳界では初めての取り組みだったと北島氏は振り返る。目的は重量そのものを挙げることではなく、動きの習得にあった。陸上での動きをいかに水中に繋げていくかを重視しており、10代のころは十分に理解できていたか怪しいとしながらも、動きを重視したトレーニングを続けてきたことが今につながっていると語っている。
水中時間を削ることに抵抗はまったくなかった
水に入る時間を削ってトレーニングをすることに抵抗はなかったのかという問いに、北島氏は「全くない」と即答している。水中にいる時間が長かった分、週2回の陸上トレーニングやコンディショニングの時間がむしろ楽しみだったという。この経験が、現役引退後にトレーニング指導の仕事に携わるきっかけの一つになったと本人は振り返っている。
成果が競技に活きるまでの試行錯誤を判断フローとして整理する
北島氏の発言をたどると、トレーニングの成果を競技力に結びつけるまでには、痛みのチェックと専門家への相談を繰り返すプロセスがあったことがわかる。筆者はその流れを次の図のように整理した。

図:筆者が北島康介氏のインタビューをもとに整理した試行錯誤のプロセス
20代前半まで続いた陸上と水中のバランス調整
トレーニングの成果を競技に活かせるまでには時間がかかったと北島氏は語る。20代前半くらいまでは、陸上での力発揮と水中での力発揮のアンバランスさを埋める作業に悩み続けていたという。平泳ぎは膝・肩・肘に痛みが出やすく、陸上での動きに痛みがなくても水中の動きで痛みが出たときは休ませる期間を作って様子を見るなど、自分の感覚を頼りに調整を重ねた。
知識を得たことで主体的にトレーニングと向き合えた
競泳は記録との勝負であり、バイオメカニクス的な知識を得たことで「水中でこういう動きがしたいから陸上でこういうトレーニングをしたらどうか」と自分で考えられるようになったと北島氏は語る。指示に従うだけだった10代から、20代にかけて次第に主体的にトレーニングと向き合うようになったが、それでも専門家の手を借りながらだったと付け加えている。
あわせて読みたい長期的な視点でキャリアを組み立てる選手のケース›
4年周期で逆算する長期的な視点とメンタルの整え方
オリンピックは4年周期であるため、北島氏は常に長期的な視点を持ち、目指すところから逆算しながら今どういうフィジカルとメンタルであるべきかを考えてきたという。1週間頑張ったからといって次の週が爆発的に良くなるわけではないという「良い意味での諦め」を持つことも、長期的な取り組みを続けるうえで重要だったと振り返っている。
自分のさじ加減だけに頼らず周囲に意見を求める
自分が良かれと思っていても、甘えが出て前に進めなくなる瞬間が必ず来ると北島氏は語る。だからこそ常に周囲に意見を求め、場合によっては自分の考えとは違う選択をする覚悟を持ってきたという。知識や経験は外から得るものの方が多いという考え方が、長期的な取り組みを支えている。
気持ちのムラを正直に認めてメリハリをつける
気持ちが落ちるとトレーニングにも練習にも身が入らないことを、北島氏はオリンピックを通じて経験してきたという。やる気がないのに無理に出そうとせず、正直な気持ちのままメリハリをつけて臨むことで、無理によるケガを避けてきた。周囲のコーチや監督に背中を押してもらう機会を大切にし、常に自分以外の意見を求める姿勢を持ち続けたことも語られている。
あわせて読みたいオフの過ごし方が競技継続を支える選手のケース›
企業の人材育成に応用できる北島康介の試行錯誤の姿勢
北島氏が国立スポーツ科学センター(JISS)のような医・科学の支援体制を活用しながら、自分の感覚と専門家の知見をすり合わせてきたプロセスは、企業の人材育成にも応用できる視点だ。JISSはスポーツ医・科学の研究施設やトレーニング施設、栄養指導などを一体的に備え、選手の競技力向上を支援する国の中枢機関として位置づけられている。
企業研修の場面でも、個人の感覚や経験だけに頼らず、専門家やデータに基づく知見を組み合わせながら試行錯誤を重ねる仕組みを整えることが、若手の成長を後押しする土台になる。北島氏のように「指示に従う段階」から「主体的に考える段階」への移行を支援する関わり方は、人材育成の設計にそのまま活かせる考え方だ。
(参考)JISS(国立スポーツ科学センター) – 日本スポーツ振興センター
よくある質問
北島康介氏がウエイトトレーニングを始めたのはいつか
2000年シドニーオリンピックの後からで、国立スポーツ科学センター(JISS)が新設されたタイミングと重なっていた。
北島康介氏が競泳界で初めて取り入れた種目は何か
スナッチやクリーンといった床反力を使う種目で、スタートブロックを蹴る動作のパワー向上を目的に取り入れられた。
トレーニングの成果が競技力に結びつくまでどれくらいかかったか
本人によれば20代前半くらいまで、陸上と水中の力発揮のバランス調整に悩み続けたという。
北島康介氏がメンタル面で大切にしていたことは何か
気持ちの浮き沈みを無理に隠さず正直でいること、そして常に長期的な視点から今のフィジカル・メンタルを考えることを大切にしていた。
まとめ
- 北島康介氏は2000年シドニー五輪後、海外選手に負けないパワーを求めてウエイトトレーニングを本格的に開始した。
- 目的は重量を挙げることではなく、陸上での動きを水中の力発揮に繋げる「動きの習得」にあった。
- 成果が競技に活きるまでには20代前半までの試行錯誤があり、痛みのチェックと専門家への相談を重ねてきた。
- オリンピックの4年周期を意識した長期的な視点と、気持ちの浮き沈みを正直に認めるメンタル管理が土台にあった。
- 感覚と専門家の知見を組み合わせて試行錯誤する姿勢は、企業の人材育成にも応用できる考え方である。
ご質問・ご相談はお気軽にどうぞ
お問い合わせはこちら →


コメント