2008年北京、2012年ロンドンと2大会連続でオリンピックに出場し、2007年の世界選手権では日本男子初のバドミントンメダルを獲得した池田信太郎氏。2015年の引退後は複数の企業で顧問やコンサルタントを務め、ビジネスの世界でも独自の存在感を放っている。
競技経験を単なる肩書きにするのではなく、自らの「バリュー」として企業に対価に変えてきたその思考プロセスには、挫折と再起を繰り返した現役時代の経験が色濃く反映されている。
引退後もドラマチックな人生を求めた原点
池田氏は引退にあたって明確なビジョンがあったわけではないと語る。ただ一つ持っていたのは「引退してもドラマチックな人生を送りたい」という思いだった。単にお金を稼ぐための仕事ではなく、オリンピックに負けないくらいの目標を見つけ、追いかけ続けたいという価値観である。
人生をかけてオリンピックを目指した日々は精神的にも肉体的にも大変だったが、同時に最高に充実していた。その感覚を引退後も手放したくないという思いが、複数の企業に関わる現在の働き方につながっている。
多くのトップアスリートが引退後にオリンピックに負けないほどの目標を見つけられずに悩む中、池田氏は比較的スムーズに新たな目標へたどり着いたと振り返る。その理由を突き詰めると、現役時代から培ってきた思考の習慣に行き着く。
プロ選手として培った対価を得る経験という価値観
池田氏が引退後の目標を比較的スムーズに見つけられた理由として挙げるのが、プロ選手として自らの価値を企業へ売り込み、対価を得てきた経験だ。大学生の頃からビジネス書を好んで読み、物事をビジネス的に捉える習慣が自然と身についていたという。
依頼を断らないという判断基準
畑違いのテーマで講演を依頼され「面倒だな」と感じても、それが自分のキャパシティを広げると判断すれば引き受ける。出来ないことを理由に挑戦しなければ、いつまでも出来ないままだという考え方が、活動領域を広げる原動力になっている。
もちろん失敗もある。プレゼン当日に資料がパソコンから消えてしまったことや、印刷を忘れて慌てて高級用紙で刷り直し大金がかかったこともあるという。それでも挑戦を重ねることで、資料作成のスピードとプレゼンの質は着実に向上していった。
なぜ複数の企業と関わる働き方を選んだのか
現在の池田氏はフライシュマン・ヒラード・ジャパンでシニアコンサルタントを務めながら、エボラブルアジアやAuBなど複数の企業で顧問を務めている。最も時間を使うのは事業戦略やPRストラテジーを提案する本業だが、それ以外の企業では自身のバリューに対して顧問料という対価を得ている。
プロ選手時代に活動資金を調達するため様々な企業の経営者と交流する中で、徐々に自分が提供できる価値に気づいていった経緯がある。競技の成績そのものではなく、高い目標を設定し努力を継続して挫折を克服してきたプロセスこそが、信頼されるスキルになるという考え方だ。
実際に池田氏は、選手時代のスポンサーだったエボラブルアジアがDeNAトラベルを買収する際、交流のあったエボラブルアジアの会長とDeNAの会長を直接つなぎ、現在のエアトリ誕生に貢献したという実績を持つ。自らの人脈というバリューを、具体的なビジネスの成果に変えた象徴的な例といえる。
12連敗から這い上がった思考モデルの構造化
池田氏の思考の土台には、挫折を分析し克服する練習メニューを自ら考える習慣がある。中学時代は体格差でパワーに圧倒され、県ベスト8にも入れなかった。転機は高校1年のインターハイ観戦で、会場の熱気に圧倒され「この舞台で試合がしたい」という目標を得たことだった。
プラス1の努力という積み重ね
それまで1日20本打っていたスマッシュを25本に増やすなど、与えられた練習内容に常に「プラス1」を意識するようになった。大学進学後も1、2年生でシングルス12連敗という壁にぶつかったが、フィジカル強化と怪我のリハビリを重ねながら、3年生でキャプテンに就任しインカレ12年ぶりの団体優勝を果たしている。
バドミントンを使わず自己紹介するという視点
インタビューの最後に「バドミントンという競技名を使わずに自己紹介してほしい」と問われた池田氏は、「好奇心と探求心はいつまでも大切にしたい」と答えている。この視点は、競技の実績を離れても自分を語れる軸を持っているかという問いでもある。
一般的な引退選手が「A(競技団体・指導者)」の領域にとどまりやすい中、池田氏はコンサルタントや広報戦略の立案者としての「C」、組織委員会の委員としての「B」など、複数の領域を横断して活動している点が特徴的だ。競技力そのものよりも、競技を通じて培った信頼構築力や交渉力を軸に据えているからこそ実現できている働き方だといえる。


自分のバリューを言語化するためにAIを活用する方法
池田氏が語る「バリューを対価に変える」という発想は、自分が提供できる価値を客観的に把握できて初めて成立する。この棚卸し作業には生成AIが役立つ。
これまでの経験や実績を箇条書きで入力し、「第三者から見てどんな価値提供ができるか」をAIに問いかけると、自分では当たり前だと思っていたスキルが強みとして言語化されることがある。競技経験に限らず、これまでのキャリアを次のステージに生かしたい人にとって有効な手法だ。
Q. 池田信太郎はなぜ複数の企業で顧問を務めているのですか
プロ選手時代に培った自らのバリューを対価に変える経験と、経営者との人脈を生かし、それぞれの企業に提供できる価値があると判断したためです。
Q. 引退後にすぐ新しい目標を見つけられた理由は何ですか
プロ選手として自らを企業に売り込み対価を得てきた経験と、大学時代から培っていたビジネス的な視点があったためだと本人は語っています。
Q. 現役時代の最大の挫折は何でしたか
中学入学直後に体格差でパワーに圧倒され、それまで勝っていた相手にも負けるようになったことです。大学でも1、2年生でシングルス12連敗を経験しています。
Q. ダブルスに専念したきっかけは何ですか
日本ユニシス入団後、インドネシア人コーチのカレル・マイナキ氏からダブルスプレーヤーとしての才能を見出され、社会人1年目から専念することになりました。
Q. 日本人初のプロ契約はどのような決断でしたか
28歳という年齢で、実業団に残れば得られたはずの安定を手放す決断でした。周囲からは不安視する声もありましたが、誰も歩んだことのない道に挑戦しない選択肢はなかったと振り返っています。
まとめ
池田信太郎氏のキャリアは、競技の実績を看板にするのではなく、挫折を乗り越える過程で磨いた思考プロセスそのものを価値として企業に提供し続けてきた歩みだ。中学時代の挫折、大学での12連敗、そして北京オリンピックでの初戦敗退といった経験の一つひとつが、いまの複数企業を横断する働き方の土台になっている。
引退後もドラマチックな人生を求め続けるという価値観は、競技を離れた後も自分なりの目標を持ち続けたいと考える多くの人にとって、一つの指針になるだろう。
参考:ATHLETE LIVE「アスリートの経験を活かし、ビジネスパーソンとして 成長していきたい 元バドミントン日本代表・池田信太郎」(https://athlete-live.com/category_hyoushoudai/ikeda-shintarou/)
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