2024年1月、全豪オープンテニス車いすの部で史上最年少優勝を果たした直後、小田凱人はインスタグラムにこう投稿した。「でっかいこと言って、でっかいことをする。それが俺の美学」。9歳で骨肉腫を発症し、左足の自由を失った少年が、なぜここまで迷いのない言葉を発せるようになったのか。その答えは、病気や障がいを「嫌な過去」にしなかった小田自身の思考の転換にある。
サッカー少年が失った足と見つけた道
小学校の徒競走で1位になるほど足の速さが自慢で、本気でプロサッカー選手を目指していた小田凱人。しかし9歳のとき、プレー中の激痛をきっかけに左股関節の骨肉腫が見つかった。抗がん剤治療の末、股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節を入れる手術を受け、医師からは「もう走れなくなる」と告げられた。大好きなサッカーができなくなっても、スポーツへの情熱は消えなかったと本人は振り返る。
入院中、担当医から教わったのがパラスポーツの存在だった。「車いすに乗る人だけができるスポーツがあって、パラリンピックという世界大会がある」。YouTubeで様々なパラスポーツの動画を見た小田は、車いすテニスに直感で惹かれたという。競技用車いすを操りながら激しいラリーを繰り広げる選手の姿に「これがやりたい」と明確に思った瞬間が、彼の競技人生の出発点になった。
国枝慎吾という光を追いかけた9か月
病院のベッドで見た国枝慎吾のロンドン・パラリンピック決勝は、小田にとって希望そのものだった。「めちゃくちゃカッコいい。自分もこうなりたい」。9か月に及ぶ入院生活の中で、国枝の存在が光になったと語る。退院後すぐにラケットを握り、地元のクラブで実力をつけていったが、その後2度にわたりがんの肺転移が発覚する。それでも「国枝さんのように、車いすテニスで世界一になりたい」という目標は揺らがなかった。
勝てなかった対戦相手が支えになったという発想の転換
小田は国枝と4回対戦し、一度も勝てなかったと明かしている。「でも、今となってはそれが逆に良かったんじゃないかと思っています。もしも勝っていたら相当満足してしまって、僕のテニス人生がそこでひと区切りついていたかもしれません」。負け続けたことを挫折として処理せず、今も頑張り続けられる理由として捉え直すこの発想は、目標達成そのものよりも目標に向かうプロセスに価値を置く思考の表れだ。
国枝が現役引退を発表した直後、小田は本人から電話をもらったという。「これから車いすテニスを引っ張っていって」という言葉は、今も深く心に響いていると語る。託されたバトンを引き継ぐことを自分の責任だと捉える姿勢は、個人の勝利だけでなく競技全体の未来まで見据えた視座の表れといえる。
世界ランク1位でも満たされなかった理由
2023年、四大大会の全仏オープンで史上最年少優勝と世界ランク1位を同時に記録した小田だが、本人の感覚は違った。「17歳で世界ランク1位になって、グランドスラムも優勝したけれど、僕自身の中では全力を出し尽くして1位になった感覚はないんです」。外部の評価がどれだけ高まっても、自分の中の基準を満たしていなければ満足しない。この「自分の中の1位」という物差しこそが、勝ち続けても慢心しない理由になっている。
落ち込むことを否定しない強さ
強気な発言で知られる小田だが、悩みや落ち込みとは無縁のメンタリティかと問われると、しばらくの沈黙のあとに言葉があふれ出したという。「悩んだり、落ち込んだりすることって、ダメなことなんでしょうか。それが良くないというふうにされている社会の風潮こそが、僕は良くないと思います」。退院したての頃は車いすで外に出るのも杖で街を歩くのも嫌で、人に見られることに違和感を覚え、子どもなりに悩んだと本人は明かしている。
それでも車いすテニスに出合い、良い成績を出せるようになるにつれて、障がいをマイナスに感じることは少なくなっていったという。「マイナスどころか、人とは違う強みだと感じています。だから病気のことも治療のことも、当時思い悩んでいた自分自身のことも、嫌な過去ではないんです」。過去を消化するのではなく、強みとして再定義するこの思考プロセスが、小田のメンタリティの核にある。
逆境を再定義する思考モデルの構造
小田の言葉を整理すると、逆境への向き合い方には共通する構造が見える。まず落ち込む自分をそのまま認め、否定しない。次に、失ったものではなく今使えるものに意識を向ける。そして、その状態を「人とは違う強み」として再解釈する。この三段階は、心理学でいう認知の再構成に近い発想であり、出来事そのものではなく出来事の捉え方を変えることでその後の行動が変わるという考え方と重なる。障がいを負ったという事実は変えられないが、それをどう意味づけるかは本人が選べるという小田の発言は、この構造を体現している。
重要なのは、この再解釈が最初から自然にできたわけではないという点だ。小田自身「退院したての頃は、車いすで外に出るのも、杖で街を歩くのも嫌でした」と明かしている通り、当初は人に見られることへの違和感や恥ずかしさを強く感じていた。そこから車いすテニスという打ち込める対象を見つけ、結果を出す経験を積み重ねる中で、少しずつ障がいの意味づけが変化していった。再解釈は一瞬の決意ではなく、成功体験の蓄積を通じて徐々に固まっていくプロセスだったことが、この事例からは読み取れる。
子どもたちのヒーローになるという次の目標
世界一になるという夢を実現させた小田には、もう一つの夢がある。車いすテニスを通じて子どもたちのヒーロー的存在になることだ。2023年8月には国際テニス連盟公認の国際大会「岐阜オープン」をプロデュースし、日本初となるジュニアのための大会を開催した。「以前は病気と闘う子どもたちに夢を与えたいと思っていたのですが、あるときふと、なぜ病気の子たちだけなんだろうと疑問に感じるようになりました」。対象を区切らず、すべての子どもに良い姿を見せたいという考えに変わっていったという。
一般人が逆境に向き合う際に応用できる視点
小田の思考プロセスは、病気や障がいという特別な経験に限らず、仕事や人生でつまずいたときの向き合い方としても応用できる。失敗や挫折を「なかったこと」にしようとするのではなく、まず落ち込むことを許し、その上で今できることに意識を向け、最終的にはその経験を自分の強みとして語れるように再解釈する。小田が「悩んでいる自分にあらがう方が良くない」と語るように、無理にポジティブを装うことよりも、感情をそのまま認めるプロセスの方が長期的には前向きな行動につながりやすい。
小田は子どもたちへのメッセージとして「悩みたいときは素直に悩んでいいということです。別に落ち込んだっていいし、塞ぎ込んでもいい」と語り、続けて「その後に、新しく夢中になれるものが何かひとつでも見つかれば、決して無駄にはならないはず」と述べている。この言葉は、逆境からの回復を急かさない点が特徴的だ。夢中になれる対象が見つかるまでの時間を否定せず、待つことを許容する姿勢は、成果を急ぎがちな環境で働く社会人にとっても示唆的な考え方といえる。
思考の整理にAIを活用するという選択肢
逆境をどう意味づけるかという作業は、一人で抱えていると堂々巡りになりやすい。近年はAIチャットツールを使い、出来事とその時の感情を書き出しながら、別の角度からの捉え方を一緒に探る使い方も広がっている。「この経験から得られたものは何か」「今使えるカードは何か」といった問いを自分に投げかける際、AIとの対話を壁打ち相手として使うことで、感情の整理と意味づけの言語化がしやすくなる場合がある。小田のように結論を急がず、まず自分の状態を認めるところから始める姿勢とも相性がよい使い方だ。
よくある質問
小田凱人はなぜ車いすテニスを始めたのですか
9歳で骨肉腫を発症し左足の自由を失った後、入院中に担当医からパラスポーツの存在を教わり、YouTubeで見た車いすテニスに直感で惹かれたことがきっかけだったと本人は語っている。
小田凱人が語る障がいへの向き合い方とはどのようなものですか
落ち込むことを否定せず認めた上で、車いすテニスで結果を出す中で障がいを「人とは違う強み」として再解釈するようになったという。過去を嫌なものとして扱わない姿勢が特徴だ。
世界ランク1位になっても満足していないのはなぜですか
本人の中には「自分の中の1位」という独自の基準があり、外部の評価や順位だけでは全力を出し尽くした感覚を得られていないためだと語っている。
まとめ
小田凱人が語る言葉の根底にあるのは、逆境を否定せずに受け止め、そこから自分なりの意味を見出していく思考プロセスだ。落ち込む自分を許し、今使えるものに目を向け、経験を強みとして語り直す。この積み重ねが、18歳にして世界の頂点に立つ選手の揺るぎない言葉を支えている。


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