照ノ富士が明かす、膝の故障と糖尿病を越えた復活の体づくり

照ノ富士の膝の故障と糖尿病を越えた復活の体づくり スポーツアスリート

大関の地位を捨ててでも土俵に立ち続けた理由

元大関・照ノ富士は、膝の手術と複数の内臓疾患を同時に抱えながら序二段まで番付を落とし、そこから史上初めて関取の地位に這い上がった力士である。周囲からは「怪我で番付が落ちた」と見られがちだが、本人の独白をたどると、実際にはもっと複雑な事情が絡み合っていたことがわかる。今回は照ノ富士自身の言葉をもとに、逆境の中でどのように体と向き合い、作り直していったのかを追う。

大関陥落の裏にあった膝の手術と複数の持病

照ノ富士は2015年7月に大関へ昇進したが、その翌場所で右膝を負傷し、2度の手術を受けた。手術後も準優勝相当の成績を2度残すなど大関の地位は維持していたが、その裏で糖尿病、C型肝炎、腎臓結石を相次いで発症していたという。

本人はこう振り返る。「周りにはケガで番付が落ちたと思われてるみたいですけど、けしてそうではないんです」「膝のケガとはうまく付き合っていたつもりですが、そこで糖尿病に罹ったり、C型肝炎にもなってしまった。あと腎臓結石も」。単一の怪我ではなく、複数の病が同時に重なったことで、通常の治療計画では説明のつかない長期低迷が始まった。

(参考)元大関照ノ富士、独白。苦悩の2年間を乗り越え、関取復帰へ。 – Number Web

筋トレをすればするほど筋肉が落ちていった悪循環

通常であれば筋力トレーニングは積み重ねるほど筋肉量が増える。しかし照ノ富士の場合は逆だった。「普通、筋トレをやればやるほど筋肉が盛り上がっていくはずなのに、やればやるほどに疲れて筋肉が落ちる一方」だったという。稽古できないまま筋肉が落ちた体で無理に出場を続け、「もし勝ち越せれば」という気持ちだけで土俵に上がっていた時期もあったと明かしている。

筆者はこの現象を、代謝性疾患を抱えた状態でのトレーニング特有の反応だったと分析する。「負荷をかけて超回復を待つ」という一般的なトレーニング理論は、体内で糖代謝や肝機能に問題を抱えている状態では成立しにくい。回復力そのものが病によって奪われていたため、努力の量と結果が比例しない状況に陥っていたと考えられる。

病を抱えながら競技を続けるという特殊な条件

糖尿病は血糖値のコントロールが乱れることで疲労感や筋力低下を招きやすく、C型肝炎は肝機能の低下を通じてエネルギー代謝や疲労回復に影響を及ぼしうるとされる。腎臓結石も強い痛みを伴い、稽古の継続そのものを難しくする要因になる。これら三つが同時に重なった状態は、単なる「膝の怪我からのリハビリ」とは全く異なる負荷を体にかけていたと考えられる。

一般的なアスリートの怪我からの復帰は、患部を治せば競技強度を段階的に戻していくという比較的シンプルな設計で進む。しかし照ノ富士のケースのように内科的な疾患が絡む場合は、患部だけでなく全身の代謝状態そのものを立て直す必要があり、リハビリの設計自体がより慎重にならざるを得ない。稽古量を追うのではなく、まず体内環境を整えるという発想の転換が求められる典型例だと言える。

治療を最優先にした体づくりが導いた回復のプロセス

2018年7月に幕下転落が決まると、照ノ富士は覚悟を決めて4場所連続で休場し、3回目の膝の手術に踏み切った。関取の証である白廻しを一度は捨て、「今度こそ相撲を辞めよう」と開き直った時期もあったという。それでも、稽古は控えつつジム通いや夜の5キロのウォーキングなど、負荷の低い運動で体力の土台だけは保ち続けた。

糖尿病や肝機能に負担を抱える状態での高強度な運動は、かえって回復を妨げる可能性があるとされる。個別の医学的判断は主治医に委ねられるべきものだが、照ノ富士のケースは「まず病気を治すことを優先する」という判断が、遠回りに見えて実は最短の回復ルートだったことを示している。

一般的な故障からの復帰と照ノ富士のケースの違い

力士の膝の怪我からの復帰は、通常であれば手術後数か月のリハビリを経て土俵に戻るケースが多い。しかし照ノ富士の場合は、膝の手術に加えて糖尿病・C型肝炎・腎臓結石という慢性疾患が並行していたため、単純な怪我の回復期間では測れない長期戦になった。実際、「辞めたい」と思った時期は一度ではなく、大関から落ちた直後の2017年11月から約2年にわたって、相撲を見るのも面倒に感じる時期が続いたという。

師匠である伊勢ヶ浜親方(元横綱・旭富士)は、本人が5、6回にわたって「辞めたい」と伝えた際も、「とりあえず、今は体を治すことだけを考えろ。辞める辞めないは、そこから先の話だ」と繰り返し伝え、治療に専念する環境を守り続けたという。

筆者が分析する、逆境から体を作り直す実践のヒント

照ノ富士のケースから読み取れる実践的な学びは大きく三つある。一つ目は、怪我と病を切り分けて考えず、体全体の状態に優先順位をつけて治療にあたったこと。二つ目は、師匠という第三者が「治療専念」という判断を繰り返し後押しし続けたこと。三つ目は、番付が落ちていく過程を悲観するのではなく、「もう一度、新十両になった時のような喜びを味わえる」とキャリアそのものを自分の中で再定義したことだ。

トレーニングと回復のバランスについてより詳しく知りたい方は、アスリートのトレーニング理論に関する記事も参考にしてほしい。また、長期離脱の中でのメンタル管理についてはメンタルコンディショニングの記事で詳しく解説している。

照ノ富士のように、怪我と病が同時に重なる状況は誰にでも起こり得るわけではないが、「結果を急がず、まず土台を整える」という優先順位の付け方は、競技者に限らず体づくりに取り組む多くの人にとって参考になる考え方だろう。

もう一つ見逃せないのは、照ノ富士が焦りとどう距離を取ったかという点だ。朝稽古で仲間が相撲を取る姿を見ると気持ちが焦ってしまうため、あえて部屋には行かず、ジムや夜のウォーキングに時間を充てていたという。回復期にある選手にとって、周囲の稽古風景から一時的に距離を置くことも、心身を整えるうえで有効な選択肢になり得ることがうかがえる。

まとめ

  • 照ノ富士は膝の手術に加え、糖尿病・C型肝炎・腎臓結石という複数の病を抱えながら番付を落とした
  • 筋トレをしても筋肉が落ちる状態は、代謝性疾患による回復力低下が背景にあったと考えられる
  • 2018年7月以降は4場所連続休場を決断し、治療を最優先にする方針へ切り替えた
  • 師匠との対話が、治療に専念できる環境を支え続けた
  • 番付降下の過程を「相撲人生を2回楽しむ」と捉え直したことが、精神面の支えになった

よくある質問

照ノ富士はなぜ大関から序二段まで番付を落としたのか

膝の負傷による2度の手術に加えて、糖尿病・C型肝炎・腎臓結石という複数の病を同時に抱えていたためである。

治療期間中はどのような運動をしていたのか

本格的な稽古は控え、ジム通いや1日5キロのウォーキングなど負荷の低い運動で体力を維持していたという。

復帰までにどれくらいの期間がかかったのか

大関から陥落した2017年11月以降、2019年の九州場所での幕下優勝、翌年初場所での十両復帰まで、約2年の期間を要した。

照ノ富士を支えたのはどんな存在か

師匠である伊勢ヶ浜親方が、治療に専念することを繰り返し後押しし続けたことが大きな支えになったという。

照ノ富士のその後の成績は

十両復帰以降も番付を着実に戻し、後に幕内優勝や横綱昇進を果たすなど、番付降下前を上回る成績を残すことになった。今回取り上げた独白は、その復活劇の途中経過にあたる時期のものである。

ご質問・ご相談はお気軽にどうぞ

お問い合わせはこちら →
About The New株式会社 代表取締役 森永 昂
執筆者
About The New株式会社 代表取締役 森永 昂

新卒で東証プライム上場の社会人教育・コンサルティング企業に入社し、人材育成・組織開発に従事。その後、別企業にてメディア・プラットフォーム事業の責任者を務める。
現在は独立し、About The New株式会社を設立。教育コンテンツの研究・開発を行い、スポーツの知見を活かした人材育成プログラムを提供している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました