人材版伊藤レポートとは|人的資本経営の3視点5要素とスポーツ活用

人材版伊藤レポートと人的資本経営をスポーツ組織のチーム運営になぞらえたアイキャッチ スポーツウェルビーイング

人材版伊藤レポートは、経済産業省が2020年9月に公表した、人材を「資本」として経営戦略と結びつけるための報告書の通称です。2022年5月の「人材版伊藤レポート2.0」で3つの視点と5つの共通要素が実践の手引きとして具体化され、2023年3月期からは有価証券報告書での人的資本の開示にもつながりました。

有価証券報告書の作成時期が近づき、人材育成の方針を何から書けばよいのか、経営会議で手が止まる。そんな場面は、ここ数年でずいぶん増えました。

この記事では、報告書の中身を経産省・内閣官房・金融庁の一次情報で整理し、スポーツ組織のチーム運営やスポーツ庁の認定制度を手がかりに、中堅企業が最初に動く3ステップまで落とし込みます。人的資本経営の全体像は、ウェルビーイングとは?9割の企業が失敗する理由と成果につながる設計もあわせて読むと、組織づくりの文脈がつかみやすくなります。

  1. 人材版伊藤レポートとは|2020年9月公表の報告書と2.0・開示制度の関係
  2. 人的資本経営の3つの視点|経営戦略・ギャップ・企業文化
    1. 視点1|経営戦略と人材戦略を同じ地図に載せる
    2. 視点2|目指す姿と現状のギャップを数字で見る
    3. 視点3|企業文化を社員の行動に結びつける
  3. 人材版伊藤レポートの5つの共通要素|人材戦略を動かす5つのテーマ
    1. 要素①|動的な人材ポートフォリオは目標からのバックキャストで描く
    2. 要素②|知・経験のダイバーシティ&インクルージョンは定着まで見る
    3. 要素③|リスキル・学び直しは不足スキルの特定から始める
    4. 要素④|社員エンゲージメントは健康経営とWell-beingまで広げて見る
    5. 要素⑤|時間や場所にとらわれない働き方は組み合わせを再定義する
  4. 有価証券報告書の人的資本開示|2023年3月期から必須になった記載事項
  5. スポーツ組織とスポーツ庁の認定制度で読み解く人的資本経営
    1. ロースター管理の発想で動的な人材ポートフォリオを描く
    2. 運動習慣の支援はエンゲージメントとWell-beingの取組に位置づく
  6. 人的資本の開示と施策を始める3ステップ|必要人材像・指標・対話の順に進める
    1. ステップ①|3年後の事業から必要人材像を書き出す
    2. ステップ②|人事情報を棚卸しして開示する指標を決める
    3. ステップ③|経営層と社員の対話を開示文に反映する
  7. まとめ|人材版伊藤レポートを開示と施策の共通言語にする

人材版伊藤レポートとは|2020年9月公表の報告書と2.0・開示制度の関係

人材版伊藤レポートから人的資本の開示までの流れを示す年表図

人材版伊藤レポートは、「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」(2020年1月〜)の報告書で、経済産業省が2020年9月に公表しました。

続く「人的資本経営の実現に向けた検討会」(2021年7月〜、座長は伊藤邦雄氏)が、2022年5月13日に「人材版伊藤レポート2.0」を公表しました。通称の「伊藤」は、この座長の名前にちなんでいます。経産省は、経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するかを深掘りするために、この検討会を設置したと説明しています。

同じ2022年には、人的資本経営コンソーシアムの設立総会が8月25日に、内閣官房の「人的資本可視化指針」の策定が8月30日にありました。2026年3月23日には、内閣官房・金融庁・経産省が「人的資本可視化指針(改訂版)」を公表しています。改訂版は、人材戦略を検討するフローと、投資家との対話に役立つ開示の考え方を整理した内容です。

あわせて読みたい人的資本投資とは?スポーツを活かした事例と効果を出す戦略›

(参考)人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~ – 経済産業省

(参考)「人材版伊藤レポート2.0」を取りまとめました – 経済産業省(2022年5月13日公表)

(参考)「人的資本可視化指針」の策定について – 内閣官房(2022年8月30日)

(参考)「人的資本可視化指針(改訂版)」の公表について – 経済産業省(2026年3月23日公表)

Q. 人材版伊藤レポート2.0と最初の報告書は何が違いますか?

2.0は、2020年版が示した「3つの視点・5つの共通要素」を深掘りし、取組例と実践事例を加えた報告書です。2020年9月の報告書が枠組みを示し、2022年5月の2.0が実践の手引きとして具体化した、という関係です。

人的資本経営の3つの視点|経営戦略・ギャップ・企業文化

2.0が示す3つの視点は、経営戦略との連動、目指す姿と現状とのギャップの把握、企業文化としての定着です。いずれも「人事部の施策」ではなく、経営の問いとして立てられています。

視点 報告書が問う内容 対応する取組の例
視点1|経営戦略と連動しているか 人材戦略が経営戦略と結びついているか CHROの設置、KPIの設定と説明、サクセッションプラン(第1章)
視点2|ギャップを把握できているか 目指すビジネスモデル・経営戦略と、現時点の人材・人材戦略との間のギャップ 人事情報基盤の整備、目標と達成期間の設定(第2章)
視点3|企業文化として定着しているか 人材戦略の実行過程で、組織や個人の行動変容を促し、企業文化として定着しているか 企業理念・存在意義・企業文化の定義、CEO・CHROと社員の対話の場(第3章)

出典:経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書~人材版伊藤レポート2.0~」(2022年5月)をもとにHuman Soar作成。

視点1|経営戦略と人材戦略を同じ地図に載せる

視点1は、人材戦略を経営戦略から切り離さない、という考え方です。2.0は取組の例として、CHRO(最高人事責任者)の設置、全社的経営課題の抽出、KPIの設定と説明、人事と事業の役割分担の検証、サクセッションプラン(後継者計画)を挙げています。

スポーツにたとえると、攻撃的に点を取りにいくのか、守備を固めて勝ち点を拾うのかで、必要な選手の顔ぶれが変わるのと同じです。戦略が決まる前に補強だけ進めても、チームのバランスは崩れてしまいます。

(参考)人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~ 令和4年5月 – 経済産業省

視点2|目指す姿と現状のギャップを数字で見る

視点2は、目指すビジネスモデルと現時点の人材との差を、数字で把握することです。2.0は、人事情報基盤の整備、目標と達成期間の設定、定量把握する項目の一覧化を取組として示しています。

たとえば、3年後に新規事業を立ち上げる計画があるなら、必要な職種と人数を先に書き出し、現在の人員と並べてみます。差が見えて初めて、採用するのか、配置転換するのか、学び直しで埋めるのかを選べます。

(参考)人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~ 令和4年5月 – 経済産業省

視点3|企業文化を社員の行動に結びつける

視点3は、掲げた人材戦略を企業文化として定着させることです。2.0は、企業理念・存在意義・企業文化の定義、それらと社員の行動の結びつけ、CEO・CHROと社員が対話する場の設定を取組として挙げています。

スポーツのチームでも、戦術ボードに書いた内容は、練習で全員が同じ動きを繰り返して初めて試合で出ます。理念を掲示するだけで終わらせず、経営層との対話の場で行動の言葉に直していく流れが、この視点の中心です。

(参考)人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~ 令和4年5月 – 経済産業省

人材版伊藤レポートの5つの共通要素|人材戦略を動かす5つのテーマ

人材版伊藤レポートが示す人的資本経営の考え方を現状の延長と経営戦略からの逆算で比べた図

5つの共通要素は、動的な人材ポートフォリオ、知・経験のダイバーシティ&インクルージョン、リスキル・学び直し、社員エンゲージメント、時間や場所にとらわれない働き方です。最後の1つは、コロナ禍を受けて加わった要素とされています。

要素①|動的な人材ポートフォリオは目標からのバックキャストで描く

動的な人材ポートフォリオとは、現時点の人材を前提にせず、経営戦略の目標から逆算して必要な人材要件を定義する考え方です。2.0は、将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオのギャップ分析、再配置や外部獲得、学生採用の開示、博士人材などの専門人材の採用を取組として挙げています。

この要素が、他の4つの土台になります。必要な人材像が決まらないままでは、リスキルの対象もエンゲージメントの目標も定まりません。

要素②|知・経験のダイバーシティ&インクルージョンは定着まで見る

2つ目は、多様な知や経験を持つ人材を迎え入れ、活かすことです。2.0は、キャリア採用や外国人の比率・定着のモニタリング、課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有を取組として示しています。

採用人数だけでなく、入社後に定着しているかまで追うのがポイントです。多様性は、受け入れる側のマネジメントが整って初めて成果につながります。

要素③|リスキル・学び直しは不足スキルの特定から始める

3つ目のリスキル・学び直しでは、2.0が不足するスキルの特定、キーパーソンの登用、リスキルと処遇の連動、社外学習機会の提供、社内起業・出向起業の支援を取組として挙げています。研修の本数を増やす前に、足りないスキルを特定する順番が大切です。

スポーツでいえば、ポジションを変える選手にまず必要なのは、新しい役割で求められる動きの分解です。企業でも、何を学べば役割が変わるのかを先に言葉にします。

要素④|社員エンゲージメントは健康経営とWell-beingまで広げて見る

4つ目の社員エンゲージメントでは、2.0がエンゲージメントの把握、ストレッチアサインメント、ポジションの公募化、副業・兼業の推進、健康経営とWell-beingの視点を取組として示しています。従業員の心身の状態を、エンゲージメントとあわせて見る視点です。健康経営との違いは、ウェルビーイングと健康経営の違い|人事戦略への活かし方で整理しています。

運動習慣の支援はこの文脈で位置づけやすく、具体的な制度設計は次の記事が詳しく解説しています。

あわせて読みたい従業員の運動習慣を支援する制度設計ガイド›

要素⑤|時間や場所にとらわれない働き方は組み合わせを再定義する

5つ目は、業務のデジタル化によるリモートワークの円滑化と、リアルワークとリモートワークの組み合わせの再定義です。2.0は、出社かリモートかを一律に決めるのではなく、両者の組み合わせを見直すことを取組の例に挙げています。

(参考)人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~人材版伊藤レポート2.0~ 令和4年5月 – 経済産業省

Q. 5つの共通要素はすべて取り組まないといけませんか?

いいえ、全項目を実施する必要はありません。2.0は取組をチェックリストのように全項目実施することを求めておらず、各社が自社の事業と環境に応じて取り組む前提です。

有価証券報告書の人的資本開示|2023年3月期から必須になった記載事項

有価証券報告書を提出する会社は、令和5年3月31日以後に終了する事業年度から、人材育成の方針と社内環境整備の方針、その指標の内容の記載が必須になりました。金融庁が令和5年1月31日に、企業内容等の開示に関する内閣府令等の改正を公表しています。

記載する場所は、サステナビリティ情報の「戦略」と「指標及び目標」です。方針には、人材の多様性の確保も含めます。

あわせて、女性活躍推進法などに基づいて「女性管理職比率」「男性の育児休業取得率」「男女間賃金格差」を公表している会社は、有価証券報告書にもこれらの指標を記載します。人材版伊藤レポートの視点2(ギャップの把握)で整えた人事情報が、そのまま開示の材料になる流れです。開示の書き方は、人的資本開示でウェルビーイングをどう示す?指標と書き方で具体例を紹介しています。

(参考)「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の一部改正(案)に対するパブリックコメントの結果等の公表について – 金融庁(令和5年1月31日)

Q. 人的資本の情報開示は義務ですか?

有価証券報告書を提出する会社は、令和5年3月31日以後に終了する事業年度から、人材育成の方針と社内環境整備の方針、その指標の内容の記載が必須です。この義務は有価証券報告書等の開示に関する内閣府令の改正によるもので、提出義務のない会社には直接かかりません。

スポーツ組織とスポーツ庁の認定制度で読み解く人的資本経営

人材版伊藤レポートの共通要素をスポーツのチーム運営の言い方と企業の最初の一歩に対応させた図

5つの共通要素のうち3つは、スポーツのチーム運営の言葉に置き換えると輪郭がはっきりします。これは本記事の整理で、報告書にある対応関係ではありません。

ロースター管理の発想で動的な人材ポートフォリオを描く

チームは、ケガ人、世代交代、移籍を見越して、シーズンごとに編成を組み替えます。動的な人材ポートフォリオも同じで、数年先の事業構想から必要な職種と人数を割り出し、育成・再配置・採用のどれで埋めるかを決めます。

ここで大切なのは、補強の前に「どのポジションが何人足りないか」を一覧にすることです。一覧があれば、採用と育成のバランスを経営会議で説明できます。

運動習慣の支援はエンゲージメントとWell-beingの取組に位置づく

スポーツ庁は、従業員のスポーツ活動の支援や促進に取り組む企業を「スポーツエールカンパニー」として認定しています。2024年は申請1,261社のうち1,246社を認定し、従業員の週1回以上のスポーツ実施率が70%以上の企業には「+(プラス)」の呼称が付きます。

2.0は、社員エンゲージメントの取組に健康経営とWell-beingの視点を挙げています。運動支援を人的資本の取組として開示に載せるなら、参加率や実施率といった指標を決めておくと、方針と結果をつなげて書けます。企業の実践例は、健康経営にスポーツを活用した企業事例10選で確認できます。

(参考)「スポーツエールカンパニー2024」として1,246社を認定 – スポーツ庁(令和6年1月23日)

Q. 人的資本経営と健康経営はどう関係しますか?

人材版伊藤レポート2.0は、社員エンゲージメントの取組例として「健康経営とWell-beingの視点」を挙げています。この報告書の枠組みでは、健康経営は社員エンゲージメントを高める取組の1つとして整理できます。

人的資本の開示と施策を始める3ステップ|必要人材像・指標・対話の順に進める

最初から5つの共通要素すべてに手を付ける必要はありません。必要人材像を書き出し、指標を決め、社員との対話に反映するという3つの順で進めると、開示文の骨格が自然にできあがります。

ステップ 作るもの 使う視点
① 必要人材像を書き出す 3年後の事業から逆算した、職種別の必要人数と現在人数の差 視点1・要素①
② 指標を決める 人事情報の棚卸し表と、開示する指標の一覧 視点2
③ 対話の場を設ける 経営層と社員の対話の記録と、開示文への反映 視点3・要素④

出典:人材版伊藤レポート2.0(経済産業省、2022年5月)の視点と共通要素をもとに、Human Soarが進める順序を整理。

ステップ①|3年後の事業から必要人材像を書き出す

A4用紙1枚に、3年後の事業計画、必要な職種と人数、現在の人数、その差を4列で書き出します。経営企画と人事が同じ紙を見ながら埋めるのがコツで、視点1の「人事と事業の役割分担の検証」にそのままつながります。

差が大きい職種から順に、採用・再配置・学び直しのどれで埋めるかを仮置きします。精度は粗くても構いません。

ステップ②|人事情報を棚卸しして開示する指標を決める

人数、年齢構成、職種別のスキル、離職率、研修時間、エンゲージメント調査の結果など、すでに社内にあるデータを1枚の表に集めます。有価証券報告書で求められる女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差の3指標が揃っているかも、この段階で確認します。

指標が部署ごとにバラバラな場合は、定義を揃える作業が先です。開示する数値には、対象範囲と集計時点を必ず添えます。

あわせて読みたい健康経営の効果測定とKPI設計|投資対効果の示し方›

ステップ③|経営層と社員の対話を開示文に反映する

視点3が挙げる、CEO・CHROと社員の対話の場を、まず半年に1回から設けます。対話で出た課題と、会社が決めた対応を記録として残すと、開示文の「方針」と「指標」に実体が生まれます。

スポーツ組織の例でいえば、ミーティングで出た課題が翌週の練習メニューに反映されるのと同じ循環です。対話の結果を見える形で返すほど、社員の側も数値の意味を受け止めやすくなります。

まとめ|人材版伊藤レポートを開示と施策の共通言語にする

人材版伊藤レポートは、人材戦略を経営戦略とつなげて開示まで届けるための共通言語です。要点を5つにまとめます。

  • 人材版伊藤レポートは2020年9月、2.0は2022年5月に経産省が公表した報告書で、2.0が3つの視点と5つの共通要素を実践の手引きとして具体化した
  • 3つの視点は、経営戦略との連動、ギャップの把握、企業文化としての定着で、5つの共通要素は全項目の実施が求められているわけではない
  • 有価証券報告書では、令和5年3月31日以後に終了する事業年度から、人材育成の方針と社内環境整備の方針、その指標の記載が必須になった
  • スポーツ庁のスポーツエールカンパニー認定のような運動支援は、社員エンゲージメントとWell-beingの取組として整理できる
  • 最初の一歩は、3年後の事業から必要人材像を書き出し、指標を決め、経営層と社員の対話の場を設けること

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About The New株式会社 代表取締役 森永 昂
執筆者
About The New株式会社 代表取締役 森永 昂

新卒で東証プライム上場の社会人教育・コンサルティング企業に入社し、人材育成・組織開発に従事。その後、別企業でメディア・プラットフォーム事業の責任者を務める。

2025年5月に About The New株式会社 を設立。スポーツの現場で培われた知見を組織開発・人材育成の文脈に翻訳し、研修・チームビルディング・イベントの企画運営を行っています。

「知識を得る」で終わらせず「行動が変わる」ところまでを設計することを大切にしています。ご相談は contact@aboutthenew.co.jp まで。

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