東京五輪のアーチェリー日本代表として男子団体・男子個人で銅メダルを獲得した古川高晴選手は、日本のアーチェリー史上初の快挙を成し遂げた選手だ。5大会連続でオリンピックに出場してきたキャリアの土台には、特別なフィジカルトレーニングだけでなく「自律訓練法」という心理的な技術がある。筆者は古川選手が語った実践内容を基に、大会前の眠れない夜にどう向き合ってきたのかを掘り下げる。
古川高晴が競技の95%を占めると語るメンタルの重み
古川選手はアーチェリーについて「競技の95%をメンタルが左右する」と言い切る。矢を放つ一瞬の集中力を保つために、日常生活の段階から感情を高ぶらせないよう意識しているという。派手な感情表現を避け、平常心を保つ生活そのものが競技の一部になっている点は、瞬発力よりも持続する集中力が問われる競技特有の姿勢だ。
アーチェリーのトーナメントは1セット3射の30点満点で、得点の高い方が2セットポイント、同点なら双方に1セットポイントを獲得し、6セットポイントを先取した方が勝ちとなる形式だ。10点、10点と連続で高得点が出ると次も同じ結果を求めたくなるが、古川選手はそこで意気込むとかえって力んで外すことを経験から知っているという。だからこそ「9点でもいいから理想のフォームで射よう」という考え方に切り替え、平常心を保つ工夫を重ねてきた。集中力の高さを裏付けるエピソードとして、弓を引く真横で電話をかけられる実験や、取材中にカップ麺の匂いを漂わされる場面でも動じなかったことが挙げられている。

自律訓練法とはどんな技術か
古川選手が高校時代の合宿で出会ったのが、ドイツの精神科医シュルツが提唱した自律訓練法だ。心身をリラックスさせることを目的とした技法で、以来20年近く大会前の習慣として続けている。
重感練習と温感練習の手順
椅子に座るか横になった状態で「いま、心が落ち着いている」と自分に言い聞かせることから始める。次に右手、左手、右足、左足の順に「体が重い」と意識する重感練習、続けて同じ順序で「体が温かい」と意識する温感練習へと進む。その後は心臓がゆっくり脈打つ感覚を意識する心臓調整練習に移る。
古川選手はこの過程の途中で眠ってしまうことが多いといい、頭で意識したことを実感できるところまで持っていくのがポイントだと語っている。眠らずに終えた場合は、脱力感や不快感を残さないための消去動作を必ず行う必要があるという。なお自律訓練法は心身の状態によっては医師への相談が推奨される技法であり、持病がある場合は自己判断で始めない方がよい。
(参考)メダリストに学ぶ「心を乱さない」生き方!アーチェリー古川高晴選手のメンタルコントロール法 – Kindai Picks
大会前に眠れない夜への対処法
大会前は誰でも神経が高ぶりやすい。古川選手も自律訓練法を取り入れる前は「ビビリ」な性格だったと振り返っているが、習慣化してからは大会前の寝つきが明らかに改善したという。
本人は「眠れないことはストレスになるが、体を横にしているだけでも疲労は回復する」と捉えるようにしており、睡眠そのものに気負いすぎない考え方も紹介している。時間ギリギリで電車に乗らないなど、心理的負担を避ける行動パターンも自律訓練法の延長線上にあるという。加えて、取材やインタビューを受ける経験そのものがセルフチェックの機会になっているとも語る。緊張への対処法を自分の言葉で説明しようとすると、それまで意識していなかった自分の傾向に気づき、自己理解が深まるという発想だ。調子が悪いときほど言葉が曖昧になる自覚があるといい、身近な人と話す時間を意識的に作ることも一つの対策になっている。
自己ベストは「出すもの」ではなく「出てしまうもの」
試合中は「ミスしたらどうしよう」でも「絶対に10点に入れてやる」でもなく、理想のフォームを再現することだけに集中すると古川選手は語る。得点を先に意識するとフォームが崩れるため、自分の7〜8割の力を出せれば十分と考えることで、悪循環を避けているという。
この姿勢は、心理テストで「勝利意欲がない」という結果が出たこととも重なる。闘争心で押し切るのではなく、平常心を維持したまま普段通りの動作を再現する発想は、緊張しやすい場面全般に応用できる視点だ。開催自体が危ぶまれた東京五輪では、本来なら開会までの日数を数えるほど焦りが出やすい状況だったが、古川選手は「中止もありえる」と捉え直すことで肩の力を抜き、冷静に本番へ向かえたと振り返っている。想定外の事態に直面したときほど、基準を下げて受け止める姿勢が平常心の維持につながっている。
目標設定についても、古川選手は受験生への講演で使った例えを紹介している。1日8時間の勉強を1日休んでしまった場合、翌日に16時間で取り戻すのは無理があるが、1日1時間ずつ8日間かけて取り戻すなら現実的だという発想だ。ハードな目標を最初から掲げて過負荷になるより、無理のない範囲からペースを上げていく方が、努力を継続しやすいと語っている。また、他人と比較せず「自分がやってきたことへの自信」を持つようにすることも、ストレスを減らす工夫の一つだという。
観客の視線の中でも崩れない平常心
古川選手はアーチェリーの魅力について、的の真ん中に矢が刺さったときの爽快感を挙げる一方、見る側にとっては一方が10点、もう一方も10点というやり取りが続く緊迫感が魅力だと語っている。「見てる方がドキドキする」という声を多く受け取ってきたといい、選手自身が平常心を保っている一方で、会場の緊張感は決して緩まないというギャップも競技の見どころだ。
露出の少ない競技だからこそ、しっかり成績を出し続けることがアーチェリーの普及につながると考えており、結果を出し続けるための土台として、自律訓練法によるメンタルの安定を位置づけている。観客の視線というプレッシャーの中でも普段通りの動作を再現し続けられるかどうかが、長年にわたり数々の大会で結果を残してきた要因といえるだろう。

栄養管理を支えた家族の存在
古川選手のコンディション作りには、管理栄養士の資格を持つ妻のサポートも大きい。アーチェリーの運動強度や基礎代謝をもとにした1日の必要カロリーを計算してもらうことで、必要以上に体重を落とすことなくパフォーマンスを維持できているという。
独身時代は自炊をしなかった古川選手も、結婚後は早く帰った日に自分で食事を作る決まりを設け、妻からレシピを教わりながら料理をするようになった。心理面の技術だけでなく、生活習慣全体を整える工夫がメンタルの安定にもつながっている様子がうかがえる。競技面のメンタルコントロールと、生活面での栄養管理が両輪となって長いキャリアを支えてきたと言えるだろう。古川選手自身、まだ露出の少ない競技だからこそ成績を出し続けてアーチェリーの普及につなげたいと語っており、心と体を長期的に整える発想そのものが、選手寿命の長さにもつながっているとみられる。
よくある質問
自律訓練法は誰でも安全に試せるのか
リラックスを目的とした技法だが、うつ病や統合失調症、糖尿病、消化器系の病気がある場合は自己判断で行わず医師に相談したうえで実践する必要がある。
自律訓練法の効果はどれくらいで実感できるのか
古川選手のケースでは高校時代から継続して大会前の習慣にしてきた経緯があり、即効性よりも長期的な積み重ねで寝つきの改善などを実感してきたと語られている。
大会前に眠れないときはどう考えればよいのか
古川選手は「眠れないこと」自体をストレスに感じすぎず、横になっているだけでも疲労は回復すると捉えることで気持ちを楽にしていると述べている。
自己ベストを狙いすぎるとどうなるのか
得点や記録を先に意識するとフォームが崩れやすくなるため、古川選手は7〜8割の力を出す意識で普段通りの動作を再現することを重視している。
まとめ
- 古川高晴選手は高校時代から約20年、自律訓練法を大会前の習慣として続けている
- 重感練習・温感練習・心臓調整練習の順に体の感覚を意識するのが基本の流れ
- 睡眠に気負いすぎず「横になるだけでも疲労回復になる」と捉える発想がある
- 自己ベストは狙って出すものではなく、平常心を保った結果として出てしまうものと考える
- 目標は無理のないペースで段階的に積み上げる方が、長期的な努力を継続しやすい
- 管理栄養士の妻によるカロリー管理が、無理のないコンディション維持を支えている
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