18歳プロスケーター松本浬璃を支えた父の手作りランプと家族の時間

松本浬璃を支えた家族との時間と手作りランプ スポーツアスリート

3歳でスケートボードに出会い、18歳でプロスケーターとして世界5位という成績を残した松本浬璃。その原点には、サーファーだった父が自宅の庭に作った手作りのランプと、家族が見守り続けた時間があった。悔しさをバネに努力を重ねてきた松本選手の歩みから、若手アスリートを支える家族との関わり方を読み解く。

父の庭から世界へ広がった松本浬璃のスケートボード人生

松本選手がスケートボードに出会ったのは、わずか3歳のときだった。サーファーだった父の影響で、サーフィンやスノーボードと並行して横乗りの英才教育が自然と始まったという。空中でデッキを1回転させる「キックフリップ」という、習得までに数か月を要するとされる技を、松本選手は練習開始からわずか7日目で習得したというエピソードが、その才能の片鱗を物語る。

父が撮り続けた練習動画

息子の可能性を感じ取った父は、自宅の庭に手作りのランプを設置し、練習動画を撮影し続けた。ランプはジャンプやトリックを繰り出すために使われる半円状に湾曲したセクションで、ここが松本選手の成長を支える原点になった。「家のすぐ前が海なので、父は僕にサーファーになってほしかったみたいです」と本人が語るように、父の願いとは異なる形で、松本選手のスケートボード人生は加速していった。

コーチをつけずに技を磨いた学び方

スケートボードはコーチをつけずに技を磨く選手が多い競技だ。松本選手も例外ではなく、技を学ぶ手段は憧れの選手のYouTube動画と、父が撮影してくれた自身の練習映像だった。YouTubeの再生速度を落として観察し、ひとつひとつ技を真似る。そして自分の滑りを映した動画を見返し、改善点を自ら探る。そこに父からのアドバイスが加わるというサイクルを繰り返すことで、松本選手は技を自分のものにしていった。

周りに仲間がいなかった時期の原動力

本格的なスケートパークができるまでは、周囲にスケートボードをする友達がほとんどいなかったこともあり、当時を振り返ると「楽しい」という気持ちは正直なかったという。悔しいから、もっと練習して、もっと上手くなりたい。そういう負けん気の強さと向上心とが原動力となり、松本選手はスケートボードを走らせ続けていた。

悔しさが力に変わった小学生時代の初大会

松本選手にとって初めての大会は、小学校3年生で出場した「FLAKE CUP」だった。日本最大級のスケートボードコンテストであり、キッズスケーターの登竜門と言われる大会で、同世代の子どもたちがたくさん出場していた。そこでは思うような結果が出ず、めちゃくちゃ悔しかったと本人は振り返る。その悔しさが、今の自分の原動力になっているという。大会が終わってからは、朝は登校前に30分、部活動には入部せずに帰宅後は暗くなるまで自宅横の手作りランプで滑る日々を過ごした。

プロ資格獲得と親元を離れた進学という決断

大きな転機は、あの悔しさから3年経った2019年に訪れた。松本選手は「全日本アマチュア・スケートボード選手権」の決勝の舞台に立ち、決勝で8位までに入賞できればプロに昇格できるという大事な一戦に臨んだ。これまで以上にハードな練習を重ね、大きな怪我もしたが、「これを乗り越えた先にしかプロへの道はない」という覚悟と努力が、8位入賞という結果を引き寄せた。小学校6年生の秋、松本選手はAJSA公認プロ資格を獲得した。

新潟の高校へ進学し実力を伸ばす

高校は親元を離れ、スケートボード部がある新潟県の高校に進学した。同じ道を目指す仲間とともに、世界大会レベルのセクションが整う充実した練習環境に身を置くことで、着実に実力を伸ばしていった。高校2年生だった2023年にはパリ・オリンピック予選を兼ねた海外大会に出場し、翌年アメリカで開催された大会では世界5位入賞を果たすなど、あっという間に世界へ羽ばたいていった。

家族が見守り続けた大会の思い出

地元にスケートパークがオープンした年、中学2年生だった松本選手は「日本スケートボード選手権 ストリート本戦」で準優勝に輝いた。祖母や祖母の友人たちがテレビ中継を観ながら応援してくれていたようで、家に帰ったら「おめでとう」と言ってもらえたことが嬉しかったと振り返る。地元の人々や家族の応援は、松本選手の挑戦を支える大きな力となってきた。父が撮影し続けた動画、祖母がテレビの前で送った声援。家族それぞれの形での関わりが、一人のアスリートを長い時間をかけて育ててきたことがわかる。

若手アスリートを支える家族の関わり方から学べること

松本選手の歩みが示すのは、専門的な指導者がいなくても、家族の関わり方次第で才能を大きく伸ばせるという事実だ。父が用意したのは高度な技術指導ではなく、練習できる環境と、それを記録し続ける根気だった。子どもの「やってみたい」という気持ちに設備と時間で応え、結果を急かさずに見守り続ける。この関わり方は、スポーツに限らずあらゆる分野で才能を育てる際のヒントになる。

結果を急かさない見守り方

父は松本選手にサーファーになってほしいという願いを抱きながらも、息子が選んだスケートボードの道を否定せず、練習環境を整え続けた。自分の望む方向に導くのではなく、子ども自身が選んだ道を支えるという姿勢が、長期的な成長を可能にしたといえる。

怪我を乗り越えた覚悟

全日本アマ出場に向けては、これまで以上にハードな練習を重ねる中で大きな怪我も経験した。それでも「これを乗り越えた先にしかプロへの道はない」という覚悟が、松本選手を支え続けた。痛みや不安があっても目標から目をそらさない姿勢は、家族が用意した安心できる練習環境があったからこそ保てたものでもある。

あわせて読みたい小田凱人が病気と障がいを力に変えた理由

撮影と振り返りを助けるAI活用法

松本選手が実践してきた「動画を見返して改善点を探る」という学び方は、AIツールを組み合わせることでさらに効果を高められる。撮影した練習動画をAIで分析し、フォームの変化や改善点をテキストで整理してもらえば、感覚的な振り返りに客観的な視点を加えられる。家族が撮影者として関わる場合も、AIによる簡単な動画整理や記録の要約を使えば、成長の軌跡を継続的に残しやすくなる。筆者は、こうした記録と振り返りの仕組み化こそが、コーチのいない環境で技を磨く選手にとって特に有効だと考えている。

まとめ|見守られた時間が才能を育てた

松本選手のプロスケーターとしてのキャリアは、才能の開花だけで説明できるものではない。父が作った手作りのランプ、撮り続けられた練習動画、祖母がテレビの前で送った声援。家族それぞれが自分にできる形で関わり続けた時間の積み重ねが、世界を舞台に戦う選手を育ててきた。悔しさをバネに練習を重ねる本人の努力と、それを見守り続けた家族の存在は、切り離せない関係にある。

よくある質問

松本浬璃選手はいつスケートボードを始めましたか

サーファーだった父の影響で、わずか3歳のときにスケートボードと出会いました。サーフィンやスノーボードと並行して練習を始めています。

松本選手のプロ資格はいつ取得されましたか

2019年、全日本アマチュア・スケートボード選手権の決勝で8位入賞を果たし、小学校6年生の秋にAJSA公認プロ資格を獲得しました。

松本選手の練習環境はどのようなものでしたか

父が自宅の庭に手作りしたランプが練習の原点です。コーチをつけず、YouTube動画と父が撮影した練習映像を見返しながら技を磨いてきました。

松本選手を支えた家族のエピソードにはどのようなものがありますか

父が練習動画を撮影し続けたことに加え、中学2年生で準優勝した際には祖母や祖母の友人たちがテレビ中継を観ながら応援していたというエピソードがあります。

松本選手の学び方を他の分野に応用するには

専門的な指導者がいなくても、練習環境を整え、動画などで記録を残し、本人が振り返って改善点を探る仕組みを作ることが応用できます。結果を急かさず見守る家族の姿勢も参考になります。

出典:JTEKT STORIES「滑り続けることで、自分を超えていく」(株式会社ジェイテクト)

ご質問・ご相談はお気軽にどうぞ

お問い合わせはこちら →
About The New株式会社 代表取締役 森永 昂
執筆者
About The New株式会社 代表取締役 森永 昂

新卒で東証プライム上場の社会人教育・コンサルティング企業に入社し、人材育成・組織開発に従事。その後、別企業にてメディア・プラットフォーム事業の責任者を務める。
現在は独立し、About The New株式会社を設立。教育コンテンツの研究・開発を行い、スポーツの知見を活かした人材育成プログラムを提供している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました