島田高志郎選手のアイスダンス転向は、股関節の故障から逃げた選択ではありません。7年間受け続けた誘いを断り続けた末に、自らの弱点と向き合い、環境を変える決断をした結果です。企業の意思決定にも通じる「弱みを直視する」プロセスを、本人の言葉から読み解きます。
股関節の慢性的な故障とスイス移籍後に続いた苦しい時間
島田高志郎選手は、股関節の慢性的な痛みと長く付き合いながらシングルスケーターとしてのキャリアを重ねてきました。手術という選択肢も浮上していましたが、手術をしてもウィークポイントであることは変わらないという判断から、痛みと共存する道を選び続けています。
本人は当時をこう振り返っています。
「怪我していた時間は長いし、それこそ慢性的な症状になっていたので、ずっと付き合っていかなければいけない。手術という選択が出てきていたんですけど、手術した上でウィークポイントになってしまうことには変わりない。(中略)そこら辺の葛藤というか、苦しい時間は長かったなという風に感じます」
怪我さえなければ違う結果があったのではないか、という問いにも、島田選手は次のように答えています。
「怪我も含めてその人の実力なので一概には言えないとは思うんですけど、練習したくてもできない、もっとやりたいのにできない、それがどうしても演技に出てしまう試合がとても多かったので、悔しいというか、もどかしいというか、そういう気持ちはたくさんありました」
股関節の故障は、2017-2018シーズンにステファン・ランビエール氏の指導を受けるためスイスへ拠点を移した年に発症し、シニア2、3年目にも別の股関節の怪我が重なるなど、長期にわたって続いていました。
(参考)「スケートを辞めようと思うことだけはなかった」アイスダンスへ挑戦する島田高志郎、大きな決断のきっかけと過程 – JBpress(日本ビジネスプレス)
Q. 島田高志郎選手を長年苦しめた怪我は何ですか?
股関節の慢性的な故障です。スイスへ拠点を移した2017-2018シーズンに発症し、シニア昇格後にも別の股関節の怪我が重なるなど、長期間にわたって競技に影響を与え続けました。
7年間誘いを断り続けた理由|滑りの弱点という自己分析
アイスダンスへの誘いは、シニアに昇格した2019-2020シーズンの頃から周囲より繰り返し受けていました。それでも島田選手は長らく首を縦に振りませんでした。理由は、自分自身のスケーティング技術に対する厳しい自己分析にあります。
「シニアに上がる頃には『やってみたらいいと思う』『興味ない? どう?』みたいにおすすめされることはありました」と語る島田選手は、続けて次のように振り返っています。
「でもシングルもずっと続けてきた大好きな競技ですし、スケーティングが上手かと言われたら自分ではそんなこともないという思いがありました。よりターンをクリアにしないといけないですし、フリーレッグも伸ばさないといけないし、自分の中ではむしろ苦手とする分野だな、と思っていました」
アイスダンスは複雑なステップワークや2人の調和が求められる種目であり、シングルとは求められる滑りの質が異なります。島田選手は自分の弱点がその要求と重なることを冷静に把握していたからこそ、誘いを受け入れられずにいたのです。
転機となった2024年「Bloom On Ice」での共演
7年間動かなかった判断が変わったきっかけは、2024年4月に開催されたアイスショー「Bloom On Ice」でした。木下アカデミーのゼネラルマネージャーを務める濱田美栄氏の勧めで、島田選手は同じ練習枠にいた櫛田育良選手と初めて組んで滑ることになります。
「育良ちゃんと同じ練習枠になったとき『ちょっと組んで滑ってみなよ』と濱田先生から言っていただいて、滑ってみました。それこそ濱田先生に『アイスダンス、絶対やってみたらいいと思う』と以前からすすめられていました」
島田選手は以前から櫛田選手の滑りに強い憧れを抱いていたといいます。
「育良ちゃんは、ほんとうに自分の好きなスケートをする選手の一人で憧れのスケーターです。(中略)やっぱり他の人と違う特別な世界観というか、彼女にしかできないスケートというものがすでにこの若さにしてあるのか、と、衝撃を受けた記憶があります」
初めて組んで滑った瞬間の手応えについても、島田選手は率直に語っています。
「アイスダンスの経験がなくて、いい悪いも分からない中、『いいんじゃないか』という手ごたえは最初からちょっとありました」
この手応えをきっかけに、2024年夏には再び組んで滑る機会が重ねられ、2025年5月9日、正式にアイスダンスカップルの結成が発表されました。
(参考)フィギュアスケーター・島田高志郎の原動力は”素直なスケート愛”、アイスダンスの挑戦は「出るだけじゃだめだ」 – JBpress(日本ビジネスプレス)
Q. 島田高志郎選手はなぜアイスダンスに転向したのですか?
2024年4月のアイスショー「Bloom On Ice」で濱田美栄氏の勧めにより櫛田育良選手と初めて組んで滑ったことがきっかけです。以前から誘いは受けていましたが、この共演で得た手応えが7年間の迷いに区切りをつけました。
決断までのプロセス|アイスダンス転向に至った4つの局面
島田選手の転向は、ある日突然の思いつきではなく、幼少期からの関心・複数回の打診・転機の共演・正式発表という4つの局面を経て形になったものです。時系列で整理すると、弱点を自覚しながらも段階的に意識を変えていった過程が見えてきます。

局面1|幼少期からの漠然とした興味
島田選手は幼少期の頃からアイスダンスという種目そのものに関心を持っていました。ただし当時はシングルの実績づくりが優先され、興味は表面化していませんでした。
局面2|シニア昇格後、複数回のお誘い
2019-2020シーズンのシニア昇格を境に、周囲からアイスダンスへの転向を勧められる機会が繰り返し訪れます。しかし本人は自身の滑りの弱点を理由に、誘いを受け入れることはありませんでした。
局面3|Bloom On Iceでの共演と手応え
2024年4月、濱田美栄氏の勧めで櫛田育良選手と初めて組んで滑ったことが転機になりました。経験がないなかでも「いいんじゃないか」という手応えを得たことが、迷いを動かす決定打になっています。
局面4|正式にカップル結成を発表
2024年夏に重ねた練習を経て、2025年5月9日に正式な発表に至ります。7年間断り続けてきた選択を、最終的には自らの意思で引き受けた形です。
シングル時代とアイスダンス転向後で変わった4つのこと
島田選手自身の状況を転向前後で比較すると、拠点や課題意識、目標とする姿がどのように変化したかが具体的に見えてきます。他の選手との比較ではなく、あくまで本人の時系列に沿った変化として整理しました。
| 項目 | シングル時代(〜2025年5月) | アイスダンス転向後(2025年5月〜) |
|---|---|---|
| 練習拠点 | スイス・シャンペリー(約7年半) | 京都 |
| 自覚していた課題 | ターンの精度・フリーレッグの伸びが弱点 | 課題だった滑りの質そのものを競技の核に据える |
| 誘いへの向き合い方 | 複数回の打診をいずれも辞退 | 共演で得た手応えを機に自ら決断 |
| 目標とする姿 | 股関節の状態と付き合いながらの演技継続 | 世界で戦えるカップルとしての表現の追求 |
島田高志郎選手本人のインタビュー発言をもとに作成(JBpress取材、2025年8月時点)
練習拠点の変化|スイスから京都へ
約7年半にわたって続けてきたスイス・シャンペリーでの練習を離れ、現在は京都を拠点にしています。本人も「なかなか暑さに慣れない」と語るほど、環境の変化は競技面以外にも及んでいます。
自覚していた課題の位置づけの変化
ターンの精度やフリーレッグの伸びは、シングル時代には「苦手とする分野」として誘いを断る理由になっていました。転向後は、その課題そのものがアイスダンスで磨くべき核心のスキルへと位置づけが変わっています。
誘いへの向き合い方の変化
シニア昇格後から複数回受けていた誘いは、いずれも本人の判断で見送られてきました。2024年の共演で得た手応えを機に、最終的には自ら動く形で決断に至っています。
目標とする姿の変化
股関節の状態と付き合いながら演技を続けることが目標だった時期から、櫛田選手とともに「世界で戦えるカップル」を目指す段階へと目標そのものが変化しています。
Q. 島田高志郎選手の練習拠点は変わりましたか?
はい、約7年半拠点としていたスイス・シャンペリーから、アイスダンス転向にあわせて京都へ移しています。本人も日本の夏の暑さに慣れない様子を語っています。
企業が学べる「弱みを直視した転向」という意思決定の視点
島田選手の決断から企業が学べるのは、弱みを隠したまま環境を変えるのではなく、弱みを正確に自己分析したうえで転向先を選んでいる点です。人事異動や事業転換の場面でも、同じ視点が応用できます。
島田選手は誘いを断り続けた7年間、自分のスケーティング技術という弱点を明確に言語化していました。転向を決めた後も、その弱点を克服すべき課題としてではなく、新しい種目で磨くべきスキルとして捉え直しています。人事担当者が異動や配置転換を検討する際も、本人の弱み・強みの自己認識を丁寧に聞き取ったうえで判断する姿勢が、納得感のある決定につながります。
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怪我と長く付き合いながらキャリアを重ねてきた選手は他にもいます。松田力也選手の前十字靭帯断裂からの復帰事例も、故障と向き合いながら競技を続ける判断の参考になります。
Q. 弱みを直視する意思決定は企業のどんな場面で応用できますか?
人事異動や事業転換の判断場面で応用できます。弱みを隠さず言語化したうえで新しい環境を選ぶ姿勢は、異動対象者本人の納得感を高め、配置後のミスマッチを減らすことにつながります。
コンディション管理から見る転向判断への向き合い方
怪我や疲労と向き合いながら競技を続ける選手の姿勢は、コンディション管理の観点からも参考になります。関田誠大選手のコンディション管理の事例や、池本凪沙選手のメドレーリレーに向けた思考転換にも、状況を受け止めたうえで次の一手を選ぶという共通点があります。
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Q. 島田高志郎選手の今後の目標は何ですか?
櫛田育良選手とともに、世界で戦えるカップルを目指すことです。2人にしかできない表現や世界観を追求する姿勢を、本人が発表時のコメントで明言しています。
まとめ
- 島田高志郎選手は股関節の慢性的な故障と長年向き合いながら、シングルスケーターとして活動を続けてきた
- アイスダンスへの誘いはシニア昇格後から複数回あったが、自身の滑りの弱点を理由に7年間断り続けていた
- 2024年4月の「Bloom On Ice」で濱田美栄氏の勧めにより櫛田育良選手と初めて組んだことが転機になった
- 2025年5月9日、正式にアイスダンスカップルの結成を発表し、拠点もスイスから京都へ移した
- 弱みを隠さず言語化したうえで環境を変える姿勢は、企業の人事異動や事業転換の判断にも応用できる
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